■桂九雀プロフィール
1979年(昭和54年)3月1日 桂 枝雀に入門。
マイクロフォンを使う必要のない会場で、生の声、生の三味線、生の鳴物による 落語会の開催に力を入れている。
1984年 放送作家・東野 博昭が旗揚げしたカラードシアター・ヘテカラで演劇の初舞台。以降、ヘテカラ全公演に出演。また、劇団リリパットアーミー、劇団MOTHERなど関西小劇場等へ多数客演の経験がある。
2005年7月に落語的手法による芝居「噺劇(はなしげき)」をスタートさせ、継続的に公演を行っている。
1993年から2015年まで、京都・南座での春の名物公演「歌舞伎鑑賞教室」では、第1部の解説をつとめた。
上方落語独特の演出「ハメモノ」を、和楽器以外(ハーモニカ、バイオリン、リュート、中国琵琶、マンドリン)で演奏する新作落語(作・小佐田定雄)も多数ある。また上方落語の長編「地獄八景」は、必ず、マリンバ(演奏・後藤ゆり子)入りで、上演する。
オーケストラやフルートアンサンブルと共演した「ピーターと狼」、吹奏楽伴奏で上演したオペレッタ「メリーウィドー」は、どちらも落語形式で演じられた。
2013年、吹奏楽団・セントシンディアンサンブルと創作した吹奏楽落語「新出意本忠臣蔵(しんでいほんちゅうしんぐら)」(作・小佐田定雄)は、各地で再演を重ねる、代表演目となった。
奈良県王寺町での「子ども落語教室」、NHK文化センター「落語講座」をきっかけに、アマチュアへの指導を始め、常時30人〜40人の生徒がいる。

趣 味
将棋(アマチュア三段)・詰将棋創作・クラリネット・ギター
 

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九雀のもっと詳しいプロフィール

1960年広島市生まれ。2歳から12歳(小学校卒業)までは名古屋を中心に愛知県内で過ごし、1973年、中学校入学からは大阪府箕面市在住。市立箕面三中〜府立箕面高校と進学。

中学校時代の同級生、高瀬くん森本くんらの影響で1973年9月に「パルコ10円寄席(ABCラジオ)」の収録を観に行ったのが、初めての落語体験。その時に出演していたのが桂小米さん(当時)=後の師匠・桂枝雀。
翌10月の収録時にも、桂枝雀として登場。演目は、9月が「首提灯」、10月は「風邪うどん」だったと、九雀は、記憶している。
そのあとしばらく落語から遠ざかっていたが、高校在学中に、ダイエー京橋店で開催されていた「島之内寄席」を観て、「この一門なら仲良くやっていけそうだ」と直感し米朝一門の一員になることを決心。米朝に弟子入り志願したが、米朝に新弟子の先約があり(現・勢朝)、米朝の紹介で、枝雀と出会うことになる。
内弟子体験レッスン終了の日に、枝雀から、
「室屋(本名)は、噺家としてやってやれんことはないけど、えろう向いてるほうやないなあ。10点満点の6点ぐらいやけど、どないする?」と言われ、「やります」と答えて入門。
正式入門は1979年3月1日。高校の卒業式がその前日だったので、その日の入門となった。
内弟子期間中に10くらいのネタを収得する人が多い中、たった6つで満足するような欲のない優雅な内弟子生活を送る。
5年目ころ、初の勉強会「九雀パフォーマンス」を1年間(6回)開催。場所は大阪の太融寺。
1995年より、3席すべてネタおろしという無謀なる勉強会「九雀の可能性」を始める。
2001年8月9日から「毎月九日(時々休み)九雀の日」をスタート。2002年4月に「毎月九日”頃”九雀の日」と改名。2003年10月に「月なみ(^o^)九雀の日」と改名。現在も「いきなり!(^^)!九雀の日」として継続中。
そのほか、東京、名古屋、京都、岡山、広島、小倉、福岡で、定期的な落語会を、自主開催している。


※公演主催者の皆様へお願い
 こちらからプロフィールを引用される場合は、必ず九雀宛ご連絡下さいますようよろしくお願い申し上げます。